
「ア・ハピィ・ニューイヤー」とお正月。冬枯れの寒々とした日本の1月と反対側のオーストラリアは夏真っ盛り。クリスマスから新年のお休みを汗だくで迎える。家族との旅行、友人同士のパーティーと楽しい時を過ごして12月半ばからの夏休みを終え、2月からの新学期だ。「何を着ても、どんなカバンでもよい」と言われた。ほとんどの公立、私立校が制服を持ち、半強制と強制に分かれる。簡単なポロシャツ、トレーナー、帽子などの制服に学校別のマークが付き、マークと色ですぐ学校が分かる。
午前中に、何を食べてもよいというお休み時間が30分程度あり、子ども
たちは、食べたり駆け回ったり楽しそう。さて、お弁当は? パンにハムをはさんだだけ、ジャムをぬっただけ、くだものを切っただけと、ひどく簡単。おにぎりや玉子焼き、色とりどりのサンドイッチを持っていくと、たちまち囲まれ、みな大喜びで食べてくれる。そんなSO君のランチもすぐにパンだけになった。
3時前に学校が終わると、毎日のようにSO君は友達を家に連れてきた。多くの子どもにとってチョコレートやチップスは特別なおやつで、おやつにひかれてくる子もいた。

日本では、食事に出かける時、子どもを同伴することが多いが、オーストラリアは反対だ。大人と線を引く。子どもの世話を誰かに頼むか、1時間500円ほどで人に任せて、夫婦で食事に出かけることが多い。何事も我慢をさせることが多いように見えた。大人同士が話している時に、どちらかに用事がある場合、じっと傍らで待っているか、「シツレイシマス」と言葉を入れてくる。どこにも例外はあろうが、少なくとも教師は徹底してこのマナーを教えていた。
ひと月ほどたつとSO君の顔が苦しそうに見える。英語の言い方を聞いてくる。相手に自分の気持ちを言いたいのに言えないのが辛そうだ。いい加減で済ませている母はただ見守るのみ。辛い。3カ月たった時、ひとやま越えて言い返せるようになり、半年たった頃には現地の子と同等の英語力になっていた。そのかわり、日本語の書き方は努力をしていないと忘れていくことになる。先生と奥さんは、当然家の中で日本語を使った。しかし、日本語がまったく分からない人がいる時は、できる限りわが子に対しても英語で話すようにした。そんな時SO君たちは、自分の父と母が何を言おうとしているのかさっぱりわからない事が多かった。言葉数こそ増えれば、7歳になった少年の英語の理解力は、すでに父と母の程度を超えていた。少年は自分から英語の特別授業を断った。みんなと一緒の教室に居たいと。